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日本三大火祭りとは?山口?ねぶた?松明あかし?

日本三大火祭りは諸説ありますが、一般的というか良く言われているのが「長野県野沢温泉村の道祖神祭り」「京都の鞍馬の火祭り」「和歌山県の那智の火祭り」「福岡県の鬼夜」が日本三大火祭りと言われています。

山口県の火祭りもねぶた祭りも松明あかしも日本三大火祭りの中には入っていません。
なのでここでは「長野県野沢温泉村の道祖神祭り」「京都の鞍馬の火祭り」「和歌山県の那智の火祭り」「福岡県の鬼夜」を紹介したいと思います。

京都鞍馬山の由岐神社の祭礼である鞍馬の火祭について

"鞍馬の火祭は京都の鞍馬山に鎮座する由岐神社の祭礼です。鞍馬山は天狗伝説で有名で、この鞍馬の森の木々や澄んだ空気に抱かれて由岐神社が霊験あらたかな神社として、今日も多くの人の信仰を集めています。
この由岐神社の祭礼が日本三大火祭、京都三大奇祭として知られる鞍馬の火祭です。鞍馬の火祭は毎年10月22日に行われ、多くの観光客が訪れ、この火祭りを楽しんでいます。
鞍馬の火祭は、元々は御所にお祀りされていた由岐大明神を、京の都の北方に位置する鞍馬の地に御遷宮した時の様子を伝え遺しているものです。
祭事は午前9時から始まり、午後6時になると神事触れの「神事にまいらっしゃーれ」の言葉を合図に、鞍馬の家々に積み重ねられた篝(エジ)に一斉に火が点され、火祭りが始まります。
最初に小さな松明を担いだ幼少年が、そして次第に燃えさかる大松明を担いだ青年達が続き、「サイレイ、サイリョウ」と囃し言葉を上げながら各仲間の宿に出発の時刻などが伝達されます。これに呼応して、菊・桐・蝶・葵・鳳・百足・寺の各鉾や鎧を着た武者が仲間の宿から現れ、山門前に大松明を立てた若者が石段にひしめき合い、壮大な火祭りのピークを迎えます。
その後、太鼓の合図で青葉の精進竹に張った注連縄を切り落とす「注連縄切りの儀」が行われ、火祭りの象徴である松明の祭から神輿の祭へと変わり、ご祭神が御旅所に到着します。
盛大な火祭りは、こうして長く伝えられ、信者や多くの観光客を魅了し続けている祭りなのです。"

和歌山県の那智の大滝の元で行われる那智の火祭りについて

"和歌山県の那智の火祭りは熊野三山の一つである熊野那智大社の例大祭で、正式には那智の扇祭りと呼ばれるものです。
那智大社が造営される昔から、地元の人達は那智の大滝を神が宿るものとして信仰していました。一方で、そこに西暦紀元前662年、東征を終えた神日本磐余彦命の一行が那智の浜に上陸し、近くに光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで、那智の大滝を発見し、そこを大己貴命の現れた御神体としてお祀りされました。
この2つの信仰が重なり、那智の大滝の近くに那智大社の起源となる神々が祀られていたのです。その神々を今から約1700前に那智山中腹にお遷し、現在の熊野那智大社となったと言われています。
那智大社の扇祭りは、現在の那智大社から、かつて熊野の神々が祀られていた大滝の元に里帰りをすると言う意味を持つ祭りなのです。
神事としては10時頃から御本社大前の儀、大和舞、ユネスコ無形文化遺産の那智の田楽、御田植式、伏拝扇立神事と続き、午後2時に那智の滝の元にある飛瀧神社の参道で御火行事が行われます。何百年もを経たうっそうとした杉木立で昼間でも薄暗い御滝の参道に大松明の火を抱えた白装束の信者が練り歩きます。
この御火行事が、この例大祭が通称那智の火祭りと呼ばれる元となっています。その後、御瀧本大前の儀 、御田刈式・那瀑舞が営まれ、最後に那智大社に戻って 扇神輿還御祭が執り行われ、全ての祭りの神事が終了します。
この那智の火祭りは毎年7月17日に営まれ、その神事は重要無形民俗文化財に指定されています。
和歌山県の観光スポットの1つである那智大滝をバックにした那智の火祭りを楽しまれる事をお勧めします。"

長野県湯沢温泉の日本三大火祭の道祖神祭りについて

"道祖神はご存知のように、災厄の進入を防ぐ神として石像として刻んで村境等に祀られる神様で、昔から日本全国に広く祀られ、信仰を集めていた神様です。
この道祖神の祭りとして、長野県の北信濃地方では小正月に火祭りを行う事が定着して来ました。その意味合いは、各地で様々ですが、北信濃では初子の祝い・厄年の祓い・良縁祈願などの性格を持ち、その火祭りには火をめぐる攻防戦を伴うと言う特徴を持っています。
この火を巡る攻防戦の性格を持つ火祭りで代表的で最も盛大なのが、1月14日、15日に行われる湯沢温泉の道祖神祭りと言えます。
この祭りでは神殿を持たない道祖神の為に、前年の秋に山から切り出したブナの大木5本を中心に神殿を造るところから祭が始まります。
まず20mもの大木を山から42歳と25歳の厄年の男性によって、麓に下ろされます。これは御神木里引きと呼ばれています。そして14日と15日の午前中を掛け、神殿を造り上げます。
その後、厄年の代表者が寺湯の河野家に火をもらいに行きます。火打ち石で採火するこの儀式は火もらいの儀式と呼ばれています。
火もらいした火は松明に移され、厄年の代表が神殿のある場所へと運びます。そして午後8時半にいよいよ火を巡る攻防が繰り広げられます。
社殿正面前に燃え上がる火もとから松明に火を付け社殿正面へ、最初は祭りの主催者である野沢組総代、そして灯籠の奉納者、子供達、大人達と一般村民が神殿に松明を投げ、その松明の火から厄年の男性達が神殿を守ると言う攻防を行います。
1時間に及ぶ攻防の末、双方の手締めにより、社殿に火が入れられ、こうして社殿は炎に包まれ、道祖神祭りは幕となります。
この湯沢温泉の道祖神祭りは、日本三大火祭の1つとして、また奇祭として国の重要無形民族文化財に指定されています。機会があれば、ぜひ一度は見たい祭りと言えるでしょう。
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福岡の鬼夜(おによ)は日本三大火祭りの一つ

"福岡県の久留米市では、鬼夜(おによ)という伝統の火祭りが行われています。

国の重要無形民俗文化財にも指定されているお祭りで、歴史は古く、1600年も前から行われている行事です。

鬼夜(おによ)とは、日本三大火祭りの一つで大晦日の夜から行われる鬼会(おにえ)の最終日に行われる行事で、神殿からの火が大松明に点火されたら始まります。

この、大松明の火の粉を浴びると、その後に無病息災の御利益があるという事で、毎年幸運を祈願する人々が多く観覧します。

鬼夜(おによ)の始まりは、仁徳天皇の勅命により人々を苦しめていた賊徒を闇夜に松明を照らし、打ち取った首を焼いた事が始まりと言われています。

火が点けられた大松明廻しは、この鬼夜の一番の見どころとなっています。

長さ13メートル、重さが2トンもある大松明6本を数百人の氏子たちがカリマタと呼ばれる、カシの棒で支えて本堂を時計回りに回ります。

その様はは、目の前で見ていると圧巻です。火花が飛び散り爆竹音も鳴り響きます。

暗闇の中に一気に明るさが灯り半裸の若い衆たちの姿が照らし出されます。

ちなみに、この大松明は、大善寺町の住民たちが総出で毎年作り上げられているという事で、地域の住民たちの深い信仰も感じます。

最後に鬼が神殿に戻ると火が灯されて火祭りの終わりを告げる鐘が鳴り響きます。この鐘は厄鐘と呼ばれていて、七・五・三と打たれて全ての行事が終了します。
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